パワハラを受けたあとの生き方は、本当は、自分が望む生き方ではなかった。

私は、新入社員時代に直属の上司からパワハラを受けました。

▼ 別記事にも書いています

目の前がまっくらだったあの頃の私を振り返る(1) | たまにはゆるゆる暮らし

目の前がまっくらだったあの頃の私を振り返る(2) | たまにはゆるゆる暮らし

身体的暴力はありませんでしたが、言葉の暴力が尋常ではありませんでした。

何か気に障ることがあれば叱責されるのは当たり前。これは打ち合わせ室など、二人だけのときです。私の言うことは何も聞いてもらえませんでした。怖くて何も発言できないようになってしまい、それがかえってエスカレートさせるという負のスパイラルにありました。

新入社員はただでさえ、いろんな人からがんばれと言われるので、なおさらつらいのてす。

当時は

「これくらいされて当然のことだ」

「自分が悪いのだから、これくらいされて当然のことだ」

と思うしかありませんでした。正しい知識を知らなかったのと、社会というものをちゃんとわかっていないまま社会人になってしまったので、それが当然だと思ってしまったところがあります。

ここでみんなの期待に応えないといけない、と頑張って、無理をしてしまうと、人はほんとうに簡単につぶれてしまいます。

だいぶ追いつめられると、声をあげる気力体力が残っていないので、何もすることが出来ずに時間が経過するのを待つしかない、という境地に陥ります。

声をあげたら、だれかから非難の声があがるんじゃないかと思うし、そういうのに対応する元気がないんです。

それは、周囲の人が気づいてくれたことで終焉を迎えましたが、このときの経験は決定的に、後の人生に響いてしまいました。そういうのを体験すると、世のため人のために動こうとするよりも、自分を守るほうに動いてしまうものです。自分が少しでも楽をする方向性へ、仕事をどんどん変えていくようになりました。そうでないと、この社会では生きていけないと思ったから。死んだ方がはるかに楽だと思いつつ、なんとか毎日をつないでいたから。

ただ、それは、本当に自分の望む生き方ではないと、最近知りました。そういう生き方は、大きな喜びを感じられないし、生きている意味もまったく感じられない。

そのことに、ようやく気がつきました。

だから、辛かったころの自分と対峙するタイミングだと捉え、向き合おうと、決心しました。

・・・正直、怖いのだけれど。

この記事を書いた人